名鉄犬山ホテル
〒484-0082 愛知県犬山市犬山北古券107−1
↑施設の外観
交通手段:JR東海道本線名古屋駅〜私鉄名鉄犬山線名古屋駅乗車(新鵜沼)行き(約35分)犬山遊園駅下車西出口〜徒歩(約8分)またはタクシー(約3分)
値段:8400~33300円
迎帆楼
〒484-0082 愛知県犬山市大字犬山字北古券41−6
↑施設の外観
交通手段:JR名古屋駅→私鉄名鉄犬山線鵜沼行き約30分犬山遊園駅下車西出口→徒歩約15分またはタクシー約5分
値段:12800~25400円
犬山国際ユースホステル
〒484-0091 愛知県犬山市継鹿尾氷室162-1
↑外観
従来のユースホステルを超えた、ワンランク上の公共の宿。
東海自然歩道のハイキング、古い町並み、国宝犬山城、遊園地やテーマパーク、夏には木曽川鵜飼など、自然、歴史、遊びを満喫でき、観光拠点にピッタリ。誰でも安く利用できるのが嬉しい。
犬山旅行記
韓国紀行6(2):4月27日:ソウル・文井洞、ロッテワールド(by 旅人のくまさんさん)
<1999年4月27日>
いつもは大韓航空を使う事が多いですが、今回はいつもとは違って、日本航空、JALでソウル近郊の金浦(キンポ)空港に向かいました。
昨日の夜に時刻表を調べて置いたので、予定通り6時15分に地下鉄原駅で乗車しました。この電車は犬山行きなので、名鉄西春駅まで乗り換え無しで済みます。40分程で西春駅に到着し、7時前には空港行きバスに乗ることができました。約束の時間には十分余裕がありました。名古屋国際空港が増築になってからは、初めての海外旅行です。今回の旅行は、総勢8名、いつものMuさん以外は、初対面の方がほとんどでした。
<名古屋空港で>
全員が余裕を持って名古屋空港国際線に集合しました。私の場合は初対面の方が多かったですから、Muさんを挟んで、顔合わせの挨拶を交わしました。今日から3日間、短いながら旅の連れとさせて頂くことになりました。
JALの韓国、キンポ空港行きは983便でした。この機は名古屋空港の北外れに駐機されていて、出発が大分遅れてしまいました。
<JALの機内放送>
JAL983便は、定刻より約20分遅れ、名古屋空港を飛び立ちました。幸いなことに、飛び立った後は順調なフライトでした。空も快晴でした。
いつもは大韓航空を使用しますので、JALの機内サービスに、普段とは違うものを感じました。例えば、韓国への入国カードの書き方などを、画面で懇切丁寧にガイドしていたこと等です。
ポイント毎の書き方を、スクリーンに映したカードで説明し、「サインを忘れないようにして下さい」「サインは、パスポート同じ字体にして下さい」等の説明がありました。確かに日本人で、初めての韓国旅行の人にも分かり易い説明です。それぞれの航空会社なりに、工夫とサービスがあるものです。
機内食は、海苔巻き、稲荷寿司、肉類、野菜、それに果物でした。もちろん、それぞれの量は多くありません。飲み物は、ビール、ジュース、コーヒー、お茶、ワインなどでした。
ワインはフランス製で、赤と白が用意されていました。高級ではないものの、十分にワインの雰囲気を堪能できました。それで、つい2本空けてしまった。中瓶ではなく、1合あまりの小瓶です。3本目を頼もうとも思いましたが、他にワインを注文する人も少なく、ここは我慢をしました。余りゆっくりもできない、短い空の旅のためでもありました。
それにしても、どこの航空会社も何と沢山のナイフ、フォークなどを機内食に用意するものでしょうか。1、2時間のフライトなら簡単な食事に決まっていますし、もう少し簡単にできそうなものだと感じます。狭いテーブルに邪魔ですし、第一、全部を使ったことがありません。航空会社の責任ではなく、仕出しを造る外食会社の問題かも知れません。
<ヨボセヨ>
多分、Muさんの事前アドバイスが効いていたせいか、皆さんの手荷物は手軽でした。荷物出しの煩わしい時間もなく、入国審査も順調でした。
落ち合った地元のガイドさんは黄(ファン)さんと名乗られました。ベテランの女性ガイドさんでした。ファンさんの読み方は、北朝鮮の元重鎮で、亡命されたファン・ジャンヨブさんのファンと同じなので、直ぐに覚えられました。
そのファンさんは、韓国旅行の基本的なことをいくつか教えてくれました。それぞれに、結構役に立ちました。
例えば、
「韓国語の4つだけを覚えておけば、どんな場合も大丈夫ですよ」
と言った話しでした。その4つとは、「ヨボセヨ(もしもし、又はすみません)」「アンニョンハセヨ(こんにちは、今晩は等)」「**チュセヨ(して下さい、お願いします)」と、「カームサハムニダ(ありがとう)」でした。
殊に、「ヨボセヨ」の解説も分かり易かった。今までの日本人は、若い女性を見ると、直ぐに「アガシ」と言った呼び方をしていました。この呼び方は、ファンさんによりますと、
「水商売等のプロの女性を呼ぶ場合はいいものの、素人の女性には適切でないです」
と言います。若い普通の女性の場合は、いやな顔をされることもあると言う。韓国内でのセクシャルハラスメント意識が浸透してきたためかも知れません。
ヨボセヨの言葉は、
「老若男女、身分を問わずに使えます」
と言います。相手が目の前に見えない場合に、店先で呼ぶ場合に適当な言葉だとも教えて戴きました。店の中で、注文を頼むために人を呼ぶ場合にも使えるという。今までは、電話での「もしもし」だけの意味かと思っていましたら、大違いでした。
また、「チュセヨ」も、幅広く使えることを教えて貰いました。例えば、買い物の時にまけて貰いたかったら、「ディスカウント チュセヨ」と、英語との組み合わせが、「少しユーモアがあって、いい効果があります」とも教えて戴きました。
<最近の韓国事情>
ファンさんは、マイクロバスの中で、最近の韓国事情の教えてくれました。その時のメモの中から、いくつかを列挙してみます。
? 韓国の物価は、日本の1/2程度である。
?軍事費に国家予算の約1/3を遣っており、国の財政を相当圧迫している。
? 物価の中では、殊に車の値段が高い。個人で所有することは、まだ贅沢と見られている。
? ソウルの冬は寒く、マイナス15度以下になる。
? 韓河(ハンガン)も凍ることが時にある。
? 初任給は、日本円換算で12万円程度である。
? 平均家族は4人で、月収24万円程度である。
? 徴兵制があるので、晩婚である。
? 男性が企業に就業するのは、27、8才以降である。
? 家を建てる場合は、親から1/2程度は補助して貰う。援助して貰わなければ、家は買えない。
? 暖房費が月に3、4万円はかかる。一戸建てに較べると、マンションの場合は、かなり安くてすむ。
? マンションのオンドルは、安全のため、排気ではなく温水を使用している。
? このところ、ガソリンが大幅値上げになった。
等でした。5年ほど前の旅行の時に聞いていた、ソウル近郊のマンションの値段も、再確認することができました。やはり、3億ないし4億ウオンと言う値段は、誇張ではないようでした。日本円では3千万から4千万円であり、日本の価格とそんなに変わりません。物価や、年収から見ますと、日本の2倍程度か、それ以上高い買い物です。
ガソリンについては、むしろ日本より安かったと言う記憶がありますので、少し意外に感じました。日本がリッター当たり、80円位の時に、確か45円程度だと聞いたような、かすかな記憶があります。
日本の場合、税金が高かったのが、その原因であったような気もします。『自由化になれば、韓国からガソリンを輸入する計画がある』との雑誌記事もあった記憶です。しかし、今更調べても詮無いことです。
<文井洞>
文井洞アウトレットがこのところ流行の観光スポットだと言う。今回の旅行パンフレットにそう書いてありました。しかし、連なったお店は確かに現代感覚のナウイものですが、我々のメンバーには、些かそぐわなかったようです。
日本で言えば原宿と言ったところでしょうか。ファッションが主体の商店街です。どの店を覗いても、買い気をそそるものはありませんでした。いささか、年代の差を感じてしまう一角でした。どうやら、皆さんも同じようでした。早々にマイクロバスに戻ってきました。
<ロッテワールド>
ソウルのお決まりコースの一つがロッテワールドです。天候に左右されないので、ガイドさんにとっても好都合なのでしょう。ロッテワールドは、ホテル、百貨店、免税店、民族博物館、それに遊園地と揃っていますので、その点でも観光コースとして好適なのでしょう。
ほとんどフリーの今回の旅行では、僅かにこの遊園地入場が予定コースに入っていました。しかし、今回のメンバーでは、遊園地では仕方がありません。民族博物館の入場券に切り替えて貰って、こちらを見学しました。
入場した後は、待ち合わせ時間を決めて、自由行動にして貰いました。私は折角の機会なので、ガイドさんに付いて回りました。彼女は熱心に説明をしてくれました。
ガイドさんが、自分で決めた待ち合わせの時間にぎりぎりになりましたので、最後の方は駆け足で見学しました。日本の歴史と重なる部分で、少し口を挟みましたら、「私が説明するまでもありませんね」と、言った感じになりましたので、口を挟むのは、程々にしました。
<クラウンホテル>
2日間の投宿地は、梨泰院のクラウンホテルでした。梨泰院の西の外れから、南東に坂を下ったところに位置していました。梨泰院の西の外れまでは、10分ほどで歩くことができ、何度かこの旅行で往復しました。
昔と違ってパスポートの携帯義務のようなルールはありませんので、ガイドさんが一括して、セーフティボックスに預けてくれました。カジノへ行く場合も、今はパスポートの提示は要らないようです。
ホテルは高級ではなかったですが、特段不便もありませんでした。2人で1部屋です。Muさんと同部屋になりました。1組の部屋だけは、夜通しモーターか何かの音がうるさく、とても我慢できる状態では無いという。それでフロントで交渉し、別の階の部屋に替えて貰いました。そう言えば、そんな音がしていた気もしました。部屋によっては、大変だったのかも知れません。
一行の中のMkさんが旅行へ出かける前に発熱し、未だ体調がすぐれないという。それでMuさんと3人で、夕食はホテルの近くで簡単に済ますことにしました。Mkさんも、**の仕事が本職であり、同部門です。それにしても折角の旅行なのに、体調がすぐれないとは、全くお気の毒と言うほかありません。
夕食の店は、クラウンホテルを裏から見上げるような場所に位置していました。地元の人か使わないような小さなお店です。軽めの食事を摂って、その日はそのままホテルに引き返しました。
ソウルへ向かう機内にて
日の丸を翼に春の旅静か
目を閉て新緑の旅準える
ワイン空け春の海越え韓近し
連休の走りの旅や人疎ら
春の風旋回の時音で知る
【旅行時期】1999/04/27~1999/04/29
【エリア】
ソウル
【テーマ】
【投稿者】
旅人のくまさん
韓国紀行6(5):5月26日:ソウル・国立民族博物館、梨泰院(by 旅人のくまさんさん)
<1999年5月26日>
日付けが1ヵ月ほど飛んで、ここからは今年2回目のソウル旅行記です。
今回の旅行メンバーは、初めての韓国旅行の人が多いこともあって、ソウル市内を主に巡ることとしました。4月の旅行と違って、今回は大韓航空のため、2泊3日でも、フルに時間を活用できました。『行きは午前中の便で、帰りは夕方の便』と、最初から旅行社に注文を付けていましたので、自然とこうなりました。
週間天気予報によれば、雨に遭う確率が高いようでした。それで、この短い旅行でも傘の用意だけはしておきました。もっとも、1週間程度の旅行であれば、必ず傘は携行していますので、短い旅でも忘れることはありません。
いつもながら、旅立つ日の朝は何とも言えない気分になります。既に行ったことがある場所に、想像の中で自分を置いてみたり、知らない訪問地に思いを膨らませる事も、このひとときの楽しみです。
<名古屋空港で>
名古屋空港には約束の時間の30分ほど前に着きました。もう1本後の犬山行きの地下鉄に乗っても十分に間に合うことは分かっていましたが、早い電車にしました。時間に余裕を持って行動するに越したことはありません。
先月の旅行で、名古屋空港の新しい国際ターミナルは経験済みでしたので、迷うことはありません。余った時間でターミナルのあちこちを回ってみました。
シーズンオフに近いせいか、人は疎らでした。約束の時間の少し前に、3階のカウンターに顔を出しましたら、三々五々に人が集まり、やがて全員が揃いました。皆さんも早く来ていて、適当に時間をつぶしていたのかも知れません。
頼んだ旅行社の人にも、予定通り合流することができました。新しい国際線ターミナルは、ソファーなどの設備が少なく、旅行社の人とは、レストランで打合せをする事にしました。まだ若い男性の方でした。
その彼が、『飲み物は1杯ずつこちらでサービスします』と、言ってくれましたので、その言葉にすかさず乗って、ほとんど全員が生ビールを頼んでしまいました。彼には、少しだけ申し訳ない気持ちではありましたが。
さして打合せる項目はありませんでした。『ご連絡が遅れましたが、ここで、宅配便でのお土産を承ります』と言って、彼がカタログを全員に配ってくれました。酒類や、キムチなど、手荷物になっては大変なので、早速ワインとキムチを現金払いで申し込みました。
キムチは*寿司のお店のメンバーのIkさんに頼まれていましたので6パックを頼みました。ワインもボルドーワインがありましたので、紅白3本づつ、計6本を頼みました。締めて3万円余りでした。
他にもウイスキー(オールドパー)やアンドン焼酎がカタログにあったら頼むつもりでしたが、残念ながら、こちらは載っていませんでした。
とにかく、先にお土産を調達しておけば、帰りが気楽です。いつも、呑んだついでに色々と約束をしてしまいますので、取りあえずの義理は果たせそうです。
結構ほかのメンバーも頼んでいましたので、旅行社の彼は、予想外と言った感じでした。このメンバーには、生ビール1杯の効果が、絶大だったのかも知れません。
旅行企画は中*興業さんを通じて頼みました。それで、わざわざIt所長さん達が見送りに来てくれていました。手土産に図書券まで頂きました。所長からは旅立つ前にお話を聞いていましたので、予想はしていましたが、申し訳ないことでした。
後日、『国際線が新しくなってからは初めてなので、見学を兼ねてのことです』とのお話を聞き、少しほっとしました。お値打ちな旅行パックを、更にお安くして貰ったので、つい、そんな気持ちになりました。
<機内で>
ソウルまでは1時間半余りの旅なので、何かと忙しい機内です。格安旅行なので、日本からの出国カードから始まって、韓国への入国カード、検疫カードも全部自分たちで記入が必要です。
そこで、真っ先に記入して皆さんに回覧しました。これまでに、何度も記入したせいか、「MP22*****」と、自分のパスポートナンバーも暗記していました。
旅行メンバーには、万が一を考えて、『パスポートのコピーと、出来たら写真の予備をパスポートとは別に所持するように』と出発前の打合せで話して置きました。
どれだけの人が実行してくれたかは、分かりませんが、言った手前、自分だけはいつも用意しています。この準備が、幸い役に立ったことはないですが、『後悔先に立たず』です。
<到着>
キンポ空港には概ね順調に到着しました。天気予報通り、天候は余りすぐれませんでした。しかし、高度がある程度下がったところでは、海上の船や陸地も見晴らしが利きました。雨雲はそんなに低くありません。もし、雨に遭っても、大したことがなさそうな雲行きに思えました。
手荷物以外の荷物出しで、少し時間がかかりました。しかし、現地ガイドさんとは、トラブルもなく合流できました。ベテランクラスの女性ガイドさんでした。
このガイドさんの案内で、出迎えのマイクロバスに乗り込みました。バスの運転手さんは、まだ若い人でした。そのほかに、いつも笑顔を絶やさないベテランの付添人さんが居ました。私はカメラマンと直感しました。
<景福宮(キョンボックン)>
最初に案内して貰ったところが、ソウルの最後の都、景福宮でした。お決まりのコースです。今回のメンバーでは、初めての人も多く、止むを得ません。止むを得ないと言うより、必然、当然のお決まりのコースです。
私にとっても、先月の時は快晴だったので、今回は雨のキョンボックンを見学することができました。雨にぬれてしっとりとした風情の古(いにしえ)の都、宮城跡に、旅と歴史のロマンを感じることができました。
ベテランの付添人さんは、要所要所で『写真を撮りますから』と、カメラを向けてくれました。私も最初はお付き合いしていたが、後は適当にあしらいました。それにしても人の良さそうな方なので、余り冷たくするのは気が引けました。
小雨がぱらついたり、記念写真を撮るには、適した天候ではありませんでした。しかし、名所だけあって、こんな天気であっても、新婚さんカップルの記念撮影のシーンに何度か出合うことがありました。
花嫁さんの純白のドレスの下は、ズボンです。これまでの経験で、幾度か垣間見ることができました。この天候では、ドレスの裾が汚れないよう、たくし仕上げて撮影場所を移動します。それで、否応無しに目に留まります。それにしても、毎度の事ながら花婿さん献身に些か同情をしてしまいます。
<国立民族博物館>
国立民族博物館はキョンボックンに隣接しています。と言うより、昔の宮殿敷地の中に建てられているのかも知れません。以前は、国立博物館とセットで回ることができましたが、今はこれだけしか見学することができません。
国立博物館は、日本帝国時代、つまり韓国が日本統治下に置かれていた時の総督府として使われていた建物でした。このため、取り壊される運命になりました。建物は既に取り壊されていて、囲いの中では、キョンボックンの宮殿が元の位置に再興されているようでした。
この国立民族博物館は、他の類似施設と同じように、生徒や学生さん達の歴史や文化、それに民族教育の場所として活用されているようです。我々が見学中にも、先生に引率された大勢の子供達を見かけました。説明書きを熱心に写し取っている子供があちこちにいました。これは、戦争博物館等でも見かけた光景です。
展示の中では、先月旅行した水原(スウオン)城の模型、和冦に対峙した亀甲船、ハイテク弓矢等が印象に残りました。ハイテク弓矢とは私の勝手な造語です。連発式の移動弓矢発射機のことです。動力源を替えれば、そのまま機関銃かと思わせるメカニズムです。
ガイドさんが熱心に解説してくれましたので、概ねその後について回りました。旧石器時代から近代まで、発掘の品々と模型を見ながら歴史の勉強ができますので、私にとっては貴重な時間でした。
<昼食、ビビンバ>
2時頃に遅い食事を摂りました。観光地巡りや土産店巡りでお腹が空き、ガイドさんから
「食事はいいですか?」
と確認がありましたので、すかさず
「昼飯食べましょう」
と、答えました。ガイドさんの案内によれば、
「土産物店の近くに、ビビンバが美味しい店があります」
という。美味しかろうが、不味かろうが、ここはガイドさんに従う他はありません。その前の土産店にも付き合うしかありません。土産店は地下1階にあり、入り口には500万円クラスの瑪瑙の彫刻が飾ってありました。思わず、何度か桁数を確認しました。
一通りのお土産が揃っていて、ここでは、絵葉書2種類とマグネットバンドを6つ買いました。この磁気バンドは定価3千円を2個で3千円の特価販売中でした。先月の旅行では2千5百円か、安くて2千円でしたので、まとめ買いをしました。適当にプレゼントする品ですが、荷物にならないのがいい品です。
昼食の店は、本当に直ぐ近くでした。全員が揃っての昼食は1回キリなので、メッチュも沢山頼みました。全員がビビンバを注文し、それ以外に「ヘムルパージョン」を適当に頼みました。お好み焼きにネギと海産物が入った料理です。
「ヘ」は海で、「ムル」とは「物」です。これは4月の旅行で、Muさんに教えて貰いました。「ヘ」は、釜山のキムヘ(金海)空港の「海」の読みと同じです。ただし、キムヘは、パッチムでキメと発音します。
「ムル」は、「パンムルガン」(博物館)の「ムル」と同じだと納得して覚えました。「パンムルガン」は何年か前の旅行で、岡崎のTnさんに教えて貰ったことを覚えていました。
残念ながら、ビビンバもへムルパージョンもそれほど美味しくはありませんでした。しかし、ビールだけは喉が渇いていたので、本当に美味かった。
<ヨンドンホテル>
旅立つ前は、「ヨイド」にあるホテルと完全に勘違いしていました。「ヨイド」とは、いわゆる韓国の「マンハッタン島」です。マイクロバスの中で、ガイドさんに
「ヨイドのどの辺りのホテル?」
とお聞きした時
「ヨイドのホテルではありません、ヨンドンホテルです」
と言われて、初めて別の場所のホテルと言うことが分かりました。
それでもヨンドンホテルは、ハンガンの直ぐ南に位置した、便利な場所にありました。そのホテルの外観は、焦げ茶色の外壁の余り目立たないホテルでした。
どっちみち泊まるだけのホテルなので、ちゃんとしたベッドと風呂、それにセキュリティーさえしっかりしていれば十分です。何しろ格安旅行なので、贅沢は言えません。清潔なベッドと風呂、それに広さも十分でしたが、セキュリティーの方は「?」でした。
結果に問題はなかったものの、セーフティボックスに貴重品を預ける時に、立会せてはくれませんでした。鍵も若いフロントの女の子が、貴重品を入れた袋をカウンターに置いたままで、
「あとで鍵を掛けておきますから」
と言った態度でした。
「本当に鍵を掛けてくれるのかな?」
との思いが一瞬よぎり、
「預けなかった方が安全だったかな?」
と反省したくらいです。
ただし、ドアーウーマン(?)の若い女の子は親切で、働き者でした。重い荷物をせっせと運び、愛想も良かった。この子には、ホテルを去るときに少しチップを渡して置きました。
「チップは要りません」
と、辞退していましたが、最終日のチェックアウト後の荷物を預かって貰ったので、結局は受け取ってくれました。
<釜山カルビ>
折角の慰安会旅行なので、最初の夜は夕食を全員一緒に摂ることにしました。大多数の総意は『本場の焼き肉を食べたい!』でした。
ガイドさんが、バスの中で『焼き肉食べ放題で8千円、飲み代は別』と言って勧めてくれたお店がありました。ホテルへ着いてから場所を聞きますと、梨泰院の近くだと言います。
しかし、焼き肉の代金として、8千円はあまりに高過ぎます。
「そのカルビ店は、釜山カルビと梨泰院カルビの近くにあるの?」
と訪ねますと、店の名前は教えてくれず、
「この件では、降りました」
と返事されました。結論から言いますと、2倍ほど高い値段だったようです。こちらが相場を知っていましたので、ガイドさんは勧めるのを諦めたようです。
梨泰院までの道は混んでおり、3台に分乗した最後のタクシーが到着するまでは、10分以上も間がありました。どうやら、道を
間違えたようです。それでも、何とか全員が無事集合することができました。
釜山カルビは、先月の旅行の時も食事をしましたので、若い女性のウェイターさんは、よく覚えてくれていました。先回の時に帰り際に、精算のお金とは別にチップを渡して置いたので、そのせいかも知れません。
日本語もそこそこに話せる娘さんで、愛嬌が良かった。何より働き者で、注文の品をてきぱきと運んでくれました。美人タイプの人ではない(今回も失礼しました)ですが、性格の良さそうな娘さんでした。
一行の中のOさんは、何度か韓国旅行に来ているらしく、この店で早速ケジャンを頼もうという。私も大好物なので、異論は全くありません。
しかし、何しろ高いし、辛い料理に慣れない人には申し訳ないので、量を少な目に頼みました。全員一切れづつでしたが、やはり食べない人が居ましたので、2切れご相伴に預かりました。久しぶりに食べるケジャンの味に、大いに満足しました。
ところで、ケジャンとは、生の渡蟹を唐辛子味でつけ込んだ料理です。唐辛子味の中で、甘みのある生の蟹肉が何とも言えず美味しい。ぶつキリにした甲羅の横から吸い出すようにしてこの身を食べます。
材料の渡蟹は、ほとんど日本に輸出するので、韓国内ではいい蟹が手に入り難いと言います。値段が高くなったのも、品薄の影響かも知れません。10センチ程のパックに詰めたお土産品は、5千円ほどもします。
この店では、締めて1人当たり5千円程度でした。ケジャンを頼んだり、お酒も沢山飲みましたので、こんなところでしょうか。焼き肉食べ放題、飲み物別の8千円とは、較べようも無く安い値段でした。
<梨泰院散策>
食事の後は自由解散にしました。概ね2組に分かれました。我々の組は梨泰院を散策した後で、タクシーを拾ってヨンドンホテルに戻るというコースにしました。ホテルの近くにコンビニがあるのを確認していましたので、そこで今夜の宴会用のセットを買い込む計画にしました。
梨泰院は、夜遅くまでは賑わっていないようです。先月に来た時もそのように感じました。名古屋の地下街ほどではないですが、早く閉める店が多い。店を閉める準備をしながらも、土産品を勧めてくれますが、熱心ではありません。いつもの強引な客引きに較べると、些か拍子抜けです。
梨泰院の南西の外れには、公衆トイレがある事を知っていましたので、用事を済まして帰途につきました。帰りの道は混んでなく、時間も早く、タクシー料金も行きよりは大分安く上がりました。
<夜の小宴会>
夜の宴会は、ホテルの私達の部屋で行うことにしました。お酒とつまみは十分に用意しました。お酒は名古屋を発つときに手に入れたオールドパーと、先ほどコンビニで買ってきた缶ビールです。
缶ビールのことは「ケン・メッチュ」と言うことを、昨年11月の旅行で李先生に教えて貰いました。もとより、コンビニでは黙って差し出して、お金を払って、せいぜい『カムサハムニダ』と言うくらいで事が済みます。
つまみもコンビニで買ってきましたが、Igさんが日本から持ってきたつまみもあって、これで十分でした。一日の反省会と、明日の行動予定の打合せといった、夜の小宴会でした。
明日の予定は、戦争博物館、ロッテワールド、南大門などが候補に挙がりました。
翌日の待ち合わせ時間も一応決めて置きましたが、『起きられたら、フロントに集合して一緒に行動する』と言った具合で、些かファジーな約束でした。午前様になったので、明日は8時近くまで寝ることにして、解散しました。
名古屋空港へ向かう途中にて
道祖神我招きたる五月尽
朝立に風の涼しき薄暑哉
旅立や五月の季語を懐に
気儘旅忘れ物無し若葉萌ゆ
走り梅雨止むも止まぬも旅の朝
【旅行時期】1999/05/26~1999/05/28
【エリア】
ソウル
【テーマ】
【投稿者】
旅人のくまさん
国宝・犬山城(by kt714さん)
木曽川沿いに築城された犬山城。
規模は小さいですが丘にあるため攻めるのは難しそう。
国宝だけあって、小さい天守閣には迫力がありました。
韓国紀行5(2):11月23日:名古屋出発釜山へ、文先生のマンション(by 旅人のくまさんさん)
<1998年11月23日>
名古屋空港からの出発は、午後の便なので、集合時間は11時40分になりました。家から空港までは1時間半とはかかりませんので、出発前にベランダの蘭の手入れをしました。
旅行中、デンドロビュウムとは、しばらくのお別れです。バルブが早く完成した早咲き種は、少し前に部屋の中に取り入れておきましたので、今日は残りの鉢のいくつかを、南向きの部屋に取り込みました。
この時期に水遣りの心配はないですが、日光には十分当てる必要があります。それで、少し不用心ですが、南側のガラス戸は、レースのカーテンだけにしておきました。
コートは着なかったものの、少し着込みましたので、さすがに地下鉄の中では暑さを感じました。地下鉄ダイヤは調べていなかったですが、偶然、犬山行きでした。乗換え無しで西春駅まで着きました。
西春駅から空港までは、いつも名鉄バスです。待時間はなく、家を出てから1時間あまりで国際線出発ロビーに到着しました。
いつも手提げ鞄ひとつの身軽な旅ですが、乗り慣れた地下鉄でも、普段とは違った気分になってしいます。車中ですぐに、『スケッチ俳句』の開始です。
頭の中では、『カームサハムニダ(ありがとうございます)』『チョウムベッケスムニダ(はじめまして)』『アンニョンハセヨ(こんにちは)』等の片言のハングルが蠢(うごめ)き始めました。今回もいい旅でありますように。
<金海空港到着>
1時間半あまりのフライトで、釜山市の北、金海(キメ)空港に到着しました。手荷物だけでなく、荷物を預けたメンバーもいましたので、入国には少し時間がかかりました。
今回の旅行は、一応旅行社の人が現地で出迎える事になっていて、マイクロバスで釜山観光ホテルまで送ってくれました。旅行社の女性ガイドさんは、若い韓国人の方でした。
一行がハングル語講座のメンバーであることを聞かれていたようでした。途中、お仕着せの土産物店に寄り道もせず、まっすぐホテルに向かってくれました。
「今日のメンバーでは、私は何もお手伝いすることがありませんね」
と、完全に観光案内などを諦めてしまっていました。
<文先生のマンション訪問>
名古屋空港から同行したのは、ハングル語講座の李順子(イ・スンジャ)先生はじめ11名です。ソウル経由で先着されていたTjさんとは、夕刻にホテルロビーで落ち合うことになっていました。
この方は、3、40回は韓国旅行をされているようでした。ハングル語講座でも中級に進まれているとお聞きしました。
しかし、時間が過ぎても姿が見えなかったので、今日は合流を諦めました。このため、大分遅れて仁済(インジェ)大学副教授の文炳鎔(ビョン・ヤンモーン)先生のマンションに向かうことになりました。
予想はしていたものの、ものすごい渋滞で、2時間あまりかかりました。約束の時間より、1時間以上も遅れてしまいました。
文先生は岡崎の国立共同機関で研究をされていたようであり、岡崎在住の李先生とはご家族ぐるみのお付き合いとお聞きしました。このことは、李先生の娘さんの金順花(キム・スンファ)さんが一行に含まれていたことでも分かりました。
文先生のお年は、40代の前半と言ったところでしょうか。中学2年と小学2年のお二人の娘さんがいます。躾がすばらしいお子さん達でした。お客への挨拶に始まって、食事の途中には、それぞれにバイオリン演奏を聴かせてくれました。
曲名はわからなかったですが、妹さんは練習曲風、お姉さんは現代曲風の選曲でした。お姉さんは、みんなのアンコールに応えて、韓国の流行歌をもう一曲弾いてくれました。明日は学校だというのに、欠伸もせずに、皆が帰る11時過ぎまで、お付き合いをしてくれました。改めて躾の良さに感心させられました。
順花さんは、小さい頃の事なので文先生の事はよく覚えていないと言われていました。文先生や奥さんは、小さかった順花さんをよく覚えていると話されていました。
順花さんはG大学の4年生です。来年が卒業で、就職も決まっているようでした。農業関係の遺伝子工学当たりが専門のようです。パソコンも使いこなされているようでした。
文先生も生物学が専門の理学博士で、順花さんは自分の専門分野と同じだと言って、喜んでいまっした。
ところで、文先生の自宅は高層マンションの13階(14階だったかも知れません)にありました。その広さと、作りの良さに感心しました。
11名の我々のメンバーと、お手伝いのお2人の13名が座っても、リビングルームは十分な広さがありました。床には温水のオンドルまで設備されていました。食事の後に見せて戴いた先生の専用の書斎も、申し分のない広さでした。お手洗いも2箇所設備されていました。
書斎では、ハングル変換のパソコンを見せて戴きました。ウィンドウズ98にも対応していて、母音と子音を続けて打ちますと、ハングル文字が表示されました。例えば、「L」と「ト」で、「な(na)」と言った具合です。表示は、もちろん母音の上に子音を乗せた文字や、色々な組み合わせができます。
韓国のマンションの間取りで特徴的なのは、ベランダ部分まで有効に利用されていることです。南側の部分はサンルームのようになっていて、リビングルームとの仕切は、二重のガラス戸で遮音と断熱の工夫がされていました。
文先生のお宅には、明日お会いする予定の釜山広域市立亀浦(クポ)図書館の日本語講座の先生と、1回生の女性の方がお手伝いに見えていました。
先生は70歳になりますと自己紹介されていましたが、お世辞ではなく、10歳から15歳は、お若く見えました。旧日本統治下の女学校か師範学校で学ばれたようです。
当時は、規則により、韓国人は日本人を教える教職に就くことはできなかったと言います。李先生が日本人を相手にハングルを教えてみえることに、時代の変化を噛み締められていました。
食事は心づくしの馳走を、時間をかけて用意されていた事が容易に判断できました。餅米と小豆で拵えられたお供え用のお菓子、ふんだんに肉を使った鍋物、等などです。心の籠もった料理の数々と歓待に、本当に感激をしました。
日本から少しだけお金を出し合って用意してきたプレゼントでは、全く申し訳ない思いがしました。素晴らしい夕食をご馳走になり、一同、感激しました。
最初の予定では、夜の10時頃には、文先生のお宅をお暇する積もりでしたが、タクシーがなかなか到着せずに、結局は11時を大幅に過ぎてしまいました。先生の二人の可愛い娘さん達には、本当に申し訳ないことになってしまいました。
<ホテルへ戻って>
ホテルに戻ったのは12時過ぎでした。隣室のMuさん、Skさん、私と同室のKtさんとウィスキーを飲みながら、一日の出来事を語り合いました。
Ktさんは、今回の私設訪問団長のMuさんの同期です。外国旅行は初めてだったようです。私にとっても旧知の人です。Skさんはまだ若く、郵便関係のお仕事をされているようでした。
旅立ちの朝
寒波来て鉢取入れし旅の朝
着膨て暖気疎しサブウェイ
正露丸バッグに入れて冬の旅
紅葉の染め残してや北の風
釜山で
半島の稔や如何に冬迫る
文先生の高層マンションで
オンドルの部屋に集うや旅の夜
箸止て演奏聴し冬の宵
韓国紀行1(8):5月3日:釜山・帰国、おわりに(by 旅人のくまさんさん)
<1996年5月3日>
最終日の5月3日を迎えました。Muさんはこの後、更に済州島旅行に旅立つ予定だと聞きました。ゴールデンウィークの期間を最大限に活用する方針のようです。
それで、前日の打ち合わせで、昨日の夕方からは、それぞれ別行動を取ることを約束しました。後日お聞きした話ですが、済州島旅行では大雨に遭って、中々大変だったようです。それでも各地を回ってきたとの話でした。
<帰国>
私は金海空港(キメコンハン)からの帰国は初めてでしたので、少し早目にタクシーで空港に向かいました。タクシーはホテルの前ですぐに捉まえることが出来ました。Tnさんは何度も経験されていますので、出掛ける時、朝が早いので、敢えてお声を掛けませんでした。
フライトは11時40分でした。多少道路は混んでいたものの、2時間前の9時40分に余裕を持って空港に着きました。途中の宿で、洗濯をしながらの身軽な旅支度なので、空港カウンターで預ける荷物もなく、搭乗手続きも簡単でした。
名古屋までは約1時間のフライトです。隣席となったSzさんと言われる犬山の歯科医の方と旅行談義をしている内に、あっと言う間に名古屋空港に到着しました。楽しく有意義だった韓国旅行は、今回もまたたく間に終ってしまいました。
機中から
誘導灯若草の中整列す
蒲公英の群居の中を飛立る
海向けて今飛立り五月空
多島海霞める島を鳥瞰す
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