ABホテル三河安城本館
〒446-0056 愛知県安城市三河安城町1−16−17
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囲炉裏の個室 炭火ダイニング 温宿 三河屋
〒379-1403 群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉155
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三河旅行記
日間賀島忘年会の旅 <その2>(by カメちゃんさん)
常滑市の「やきもの散歩道」から15キロほど南に行ったところにある「野間大坊」へとやってきました。
知多半島というのは、もともと近いところ。ここへ来るには1時間から1時間半もあれば名古屋からも我が家からも来られるところですが、見て回ったことがなかったのです。
知多半島には「知多新四国88ヶ所霊場」というのがあって、お遍路さんがお寺巡りをしてみえますよ。実はすぐ隣の三河にも「三河新四国88ヶ所」というのもあるのです。愛知県というのはお寺さんが全国で一番多く、4000軒を越しています(ちなみに2番目は大阪府で3000軒を少し下回っています)。
そんなわけで、「野間大坊」は「知多新四国88ヶ所霊場」の巡礼者絶えないところなのです。 まずは寄り道をしながら野間大坊へと向かいます。
イベリア半島旅行記(9):3月14日(1)グラナダ・アルハンブラ宮殿(by 旅人のくまさんさん)
<2005年3月14日(月)>
夜のシャワーはお湯が出ませんでしたが、朝はちゃんとお湯が出ました。昨晩、竹村さんはシャワーのことで皆さんに電話をされたようです。私の場合は想定内でしたから、その旨電話でお答えしておきました。
この日のメモからです。6時前に起床、8時前に朝食。出発8時45分でした。起きた後、7時丁度にモーニングコールがありました。これは承知のことですから、全員が保険の積りで頼んでおきました。
<グラナダの交通ラッシュ>
泊まった日本人観光客は8組だとお聞きしました。20人平均だとすれば160名、25名平均だと200名にも上ります。多くの人が湯船にお湯をためようとしたら、たちまち給湯設備はお手上げです。これが、昨日想定していた内容です。それにしても、ホテルの中は日本人観光客ばかりでした。
ホテルの前にはバスが止まるスペースは1台分だけかありません。逸れも歩道を削って作ったスペースだけでした。朝のラッシュには、長い時間停めておけばたちまち渋滞となります。それで、この駐車場を使う団体ごとに時差を調整されたようです。その結果、われわれの組が最後の出発となりました。行程的に余裕があり、早い時間の出発でなくとも良かったようです。
そのバスの運転手さんは、一緒にコルドバから来てくれた人です。物静かなで、紳士的な人でした。竹村さんは「シャイな人」といった言葉を使って表現していました。その運転手さんが迎えの時間に遅れないよう、早く来てくれたのでしょう、交通警察官にその場所を一旦離れるよう指示されたようでした。
それで、交通渋滞の中を、付近をもう一回りしてきました。渋滞がひどいようで、暫くバスを待ちました。やって来た時に、直ぐに荷物を積み込めるよう、歩道にスーツケースが並べられました。それだけで、今度は歩道が通行支障になるような状況でした。
コルドバの現地ガイドさんは、斉藤さんと言われる日本人の女性ガイドさんでした。詳しくお聞きしたわけではありませんが、結婚されてこの地に住んでいる感じの方でした。敬語の使い方等が、少しぎこちない日本語でした。
<アルハンブラ宮殿見学>
アルハンブラ宮殿はイスラム教支配の数百年間に増改築されたものです。今日、その美しい姿を見ることが出来るのは、15世紀にキリスト教支配に代わった時、無血開城が行われたためです。ガイドブックやインターネット情報を元に、簡単のその歴史から纏めておきます。
グラナダはイスラム教徒によるイベリア半島支配の中心地でした。その支配は8世紀から15世紀に及びました。無血開城は1492年のことです。その最後の王朝は、ナスル朝(1238〜1492年)でした。
アルハンブラ宮殿は異なる時代の建築物の集合体です。その原型は9世紀のアルカサーバ(砦)とされます。宮殿が大きく拡張されたのは、ナスル朝の13世紀です。その後も増改築が進められました。大きな変貌を遂げたのは、ユーフス一世とその息子のムハンマド五世の時代とされます。
アルハンブラ宮殿の建物は、白を基調としていますが、語源は「アル(赤い)」「ハラム(物)」です。なぜ、赤い宮殿と呼ばれたのかは諸説あります。イブン・アルハティブは「アルハンブラ宮殿増築の時、夜を徹して篝火を燃やして工事したため、グラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことから、このように呼ばれた」と言う説を唱えました。これが一般的な説のようです。「城が建つサビーカスの赤土が赤い城の由来」との説もあります。現地ガイドさんからは、「鉄分を多く含む赤い土」のこともお聞きしました。
アルハンブラ宮殿は、城塞の機能も有していたとされます。その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園と言った様々な施設を備えていました。
アルハンブラ宮殿は、18世紀の初め頃まで城代に管理を任せていたとされますが、カルロス五世の時代には、いくつかの改築が行われました。カルロス五世の噴水や、カルロス五世の宮殿です。しかし、宮殿は完成することはありませんでした。モスクは、教会へ変えられ、礼拝堂や修道院も造られました。
この宮殿は実に見応えがありました。壁に施された文様は精緻を極め、全体の建物の調和も見事でした。中庭の素晴らしさも特筆に値します。その中で、少し違和感を持ったのが、後代に作られたキリスト教建築物でした。
あるホームページに辿り着いた時、宮殿の素晴らしい建物や庭園の紹介のBGMに「アルハンブラ宮殿の思い出」が流されていました。タルレガ作曲の名曲です。そのトレモロ奏法は、この宮殿の精緻な文様、見事な透かし彫りのシルエット等から発想されたものではないかと、直感しました。この直感は違っているかも知れませんが、その思いが過ったのは事実です。
アルハンブラ宮殿の名前を世界に喧伝したのは、アメリカの作家ワシントン・アーヴィング(1783〜1859年)による「アルハンブラ物語」の紀行文学だとも言われています。あるホームページには、入場には2、3時間待ちのこともあると、書き込まれていました。今日は、多少込んではいても、待ち時間無しでこの宮殿の見学ができました。素晴らしい快晴に恵まれたことと合わせ、幸いでした。
<昼食の店、学生の流し>
昼食の店はアルハンブラ宮殿のある丘を下ったグラナダの郊外でした。ビルの中にあるお店でした。イカの墨煮がこの日のメインディッシュでした。
イカ墨料理はイタリアのベネチアでも食べたことがあります。イカ墨を使ったスパゲッティ料理でした。イカ墨の風味と軽い甘味が堪(こた)えられない料理です。ベネチアの時は、ロゼワインを飲みましたので、今回も竹村さんにお願いしてロゼワインにしました。
このとき飲んだワインはメモしていません。ハーフボトルではなく、グラスワインだったからです。軽い酸味がイカ墨に合って、つい、もう一杯注文しました。
このお店では、学生さんのギター流しがやって来て、演奏を始めました。曲目は、予想通り「アルハンブラ宮殿の思い出」が1曲ありました。もう1曲はベサメムーチョでした。この曲は、ラテンナンバーの曲の中で、最も親しまれ、世界で一番有名な曲とも称されています。作者はメキシコのピアニスト&ソングライターのコンスエロ・ベラスケスという女性です。曲名の意味は、「もっと、キスして」です。おヒネリの代わりに、自分達の曲が入ったCDを、1枚10ユーロで販売していました。
<セビリアへ>
食事の後は、セビリアまで245kmのバスの旅です。ここでもスペインの国土の広さと、自然の厳しさを実感しました。しかし、印象としては、ラ・マンチャ地方よりは自然の厳しさは感じませんでした。
景色にも山並が見え、変化がありました。ユーカリも疎らではなく、密度濃い植林があり、ほかの樹種もありました。しかし、日本の自然と比べると、その厳しさは格段です。日本と比べて、約1.3倍の面積に、約1/3の人口ですから、人口密度はざっと1/4となります。水と緑に溢れる日本の自然に、改めて感謝しました。
バスでの移動途中で、サーカスのテントを見かけました。その周りには沢山のトラックが駐車してあり、各地を回って公演をしているようでした。その話題の時に「サーカスのトラックに出会ったら、予定通りに走ることはできません。遅れること間違いなしです」といった話が出ました。
猛獣などをトラックに積んでいますから、ゆっくり走ることが義務付けられているようです。「そんなトラックが30台も列を作ったら、追い越しもできません。諦めて後ろをついて行くだけです」と言った経験話でした。セビリアは地元ではセビージャと発音しているようで、「バスの運転手さんもセビージャと発音していました」とも紹介してくれました。
竹村さんは、次の見学地セビリアのことを、マイクを使って説明してくれました。残念ながら、旅の疲れで眠ってしまった人も多かったようです。子守唄に聞こえた皆さんも多かったのでしょう。詳しいことは、翌日記しますが、メモしながらお聞きしたキーワードを並べておきます。
イザベル女王、アラゴン王国、ハプスブルグ家、西ゴート王国、フェルナンド三世、スペインのイスラム=日本の隠れキリシタン、カスティーリャ王国等々でした。そろそろ、私も睡眠薬が効いてきたようです。
テントは見ましたが、幸い前を走るサーカスの車の列には出会いませんでした。ジプシーキングのCDを聞きながら、順調に走って、明るいうちにセビリアに到着しました。今夜の楽しみはフラメンコのディナーショウです。
<フラメンコショウのディナー>
セビリアに早く着きましたので、フラメンコのディナーショウまでは、ゆっくりできました。ホテル出発は、18時のロビー集合になりました。しかし一寸困った状況がありました。それは、エレベーターの故障です。泊まった部屋が5階でしたから、1階のロビーとの行き来にはかなり苦労しました。普段なら、大した階数ではありませんが、右膝を痛めていましたからです。おまけに1階が地階ですから、6階と同じ階数です。今回の旅行で、宿で苦労したのは、この時だけです。
予定通りの時間にバスでホテルを出発しました。まだ明るい時間でした。フラメンコディナーショウのお店の名前は、エル・パラシオ・アンダルース(読み方は、不確かです)でした。
月並みな表現ですが、目の前で見た本場のライブショウは、テレビで見たり、映画で見たりしたフラメンコとは大違いの迫力でした。独演があったり、ペアーでの踊りや、グループでの踊りもありました。手に付けたカスタネットのリズムと緩急、タップを踏む大迫力の音は、その場にいなければ、実感はできません。指先の動きも、その繊細さが初めて実感できました。ディナーに用意された赤ワインを飲みながらの観劇は、大いに満足できるものでした。
フラッシュを焚いての写真撮影もOKでした。しかし、遠くからのデジカメのフラッシュでは役に立ちません。それぞれのクライマックス場面では、照明が一段と明るくなりましたから、そのタイミングを狙ってシャッターを押しました。しかし、デジカメですから、中々うまくタイミングが取れませんでした。収録した写真は、何とかタイミングが合った時のものです。現場の大迫力をお伝えはできませんが、華麗な服装や、その雰囲気だけでもお伝えできたらと思います。
<閑話休題、信号の話です>
竹村さんか、現地ガイドさんからお聞きした話か、メモには残しておきませんでした。たぶん、現地ガイドさんのお話です。まず、交通マナーの話です。イタリア人の交通マナーが悪いことがEUでは話題になるそうです。するとイタリア人は、「スペインよりは、まだましさ」と応えるそうです。スペイン人の交通マナーが悪いことを指摘すると、「まだ、ポルトガルよりは、いいさ」が答えとなるそうです。私がその順番を間違えたのなら、ポルトガルの方にはお詫びします。ご免なさい。
日本でも交通マナーの悪さがよく言われますが、いつもトップか上位にランクされるのが「三河ナンバー」、「女性ドライバー」「愛知ナンバー」です。「三河」プラス「女性」となったら、一寸怖い気もしますが、これも私の誤解があったり、順位に変動があったら、先にお詫びしておきます。すみません。
次に信号の色の話です。日本と同じ3色ですが、意味は違います。黄色は「注意して、全速力で進め」、赤色は「隙あらば、進め」です。そして青は「注意して、進め」です。とにかく、前向きに「進め」のようです。国民性を現しているのでしょう。
最後は真面目な話です。一応、その前の話にも真面目な部分はあります。EUに統合されてからの車のナンバーの付け方です。5年ほど前からは、全て同じルールで付けられていますから、ナンバープレートの左上部分が青色の場合は、5年以内の新しい車と判断できます。その下に「E」の文字があればスペイン(エスパーニャの頭文字)、「P」の文字があった場合は、ポルトガルとなります。これはお聞きした事ではありませんが、フランスは「F」、ドイツは「D」といった具合でしょう。
スピード規制は市内が50km、市外で80km、高速道路が120kmだそうです。でも、余り守られていないそうです。それでも、最近は取締りが厳しくなってきたようです。1回だけ、一斉検問に出会いました。
<夜の喧騒>
翌朝、Tmさんが話されていたことです。イタリアとスペインの修学旅行の学生さん達が煩くて、ホテルの係りの人も一緒に、何度もその注意のため廊下を見張られていたようです。夜中の3時過ぎまで攻防があったようです。
場所を探し出して注意した2人用の部屋では、出てくるは、出てくるは、15人程が集まっていたそうです。注意して、暫くは大人しくなるものの、暫くすると、また同じことの繰り返しだったようです。修学旅行ではどこの国でも、同じことがあるようです。ホテルが一緒になった場合は、諦めるより仕方がないようです。
殊に、イタリアの学生さん達が煩かったようです。もともとの話声が大きい、との結論でした。何しろ、「シーッ」と言う声自体が大きくて、「シーッ」になっていないと嘆かれていました。カンツォーネの国ですから、発声法自体が他の国の人達とは違うようです。
イタリア語かスペイン語かは知りませんが、部屋へのいたずら電話も多くあったようです。その学生さんたちは3階の部屋でしたから、4階の人たちは大変だったようです。私の場合、その上の階でしたから、最初は少し煩く感じましたが、その内に、オールドパーが眠気を誘ってくれました。それにしても、添乗員さんのお仕事は大変です。竹村さんに同情して仕舞いました。
セビリアへ向かうバスで
疎なる林は続きうたた寝て醒ても続くオリーブ林
アルハンブラ宮殿で
イスラムの細工に妥協の痕はなしアルハンブラに残る技識る
文様と透を暫し眺ればやがて聞ゆるトレモロの音
フラメンコショウのディナーで
手拍子と床踏鳴す強弱のリズム何時しか身体に浸ぬ
ホテルで
旅半ば友なるスコッチ手に包み惜みて飲ぬ一人静に
深夜の竹島橋。三河国定公園の中核、竹島へ架かる400mの橋 /愛知県蒲郡市(by kuropisoさん)
竹島(たけしま)は、愛知県蒲郡市の三河湾に浮かぶ小島です。三河湾国定公園の中核となっています。
島は標高22m、周囲約680m、面積約1.9ha。
対岸とは約400m離れており、写真の竹島橋によって、結ばれています。
台湾旅行記4(9):11月23日帰国、おわりに(by 旅人のくまさんさん)
<2004年11月23日(火)勤労感謝の日>
早くも最終日です。それでも午後の便ですから、午前中は近場の散策を楽しみました。その目的地に総統府見学を選びました。Muさんが、総統府の一般公開をしているとの情報を入手していたからです。
<総統府見学>
今日は一日券を買わずに切符で台北駅まで出かけました。台北駅からは、歩いて2.28公園を見学し、そのまま総統府へ向かいました。最初に正面入口から入ろうとしましたが、衛兵に
『ここからでは駄目だ。裏手に回りなさい』
といった仕草をされました。
それで、北側から半周、ぐるっと回ってみると、受付け用のテントが見えてきました。かなりの数の制服の方が受付けをやっていましたが、入場者は疎らでした。主に団体客を対象としているようでした。
ここで4人ともパスポート検査を受けました。私の場合、小さなバッグとカメラを受付に預けての入場となりました。金属探知機、レントゲン装置も備えられて、空港でのセキュリティチェックと同じレベルでの検査でした。ガイドさんは4人だけで一人の方が付くことになりました。全て無料サービスです。
ガイドの方は日本語が達者はベテランの方でした。見学できる時間を尋ねられ、1時間程度の案内をお願いしました。これが最少の見学時間のようです。この見学コースは2000年から開始され、月曜日から金曜日の平日に開放され、一日平均2千人の見学者があるそうです。
説明は日本統治時代のことから、台湾の建設と歴史、地方の文化などに言及されました。日本統治時代は1895年から1945年までの50年間で、その間の主な総督についても説明がありました。総督府が総統府に替わった後の総統についての説明も聞きました。
台湾のため尽力された総督で、自らの意思で台湾に骨を埋めた人などは、今も尊敬の念が払われていることを、その写真の前で語られました。その時に書き残したメモには、4代総督、児玉源太郎、7代総督、明石元二郎などの名前がありました。
総督府の建築面での特徴、現在の執務室の使われ方なども詳しく説明していただきました。地方文化、歴史の中でも、金門島については、特に詳しく歴史や文化、戦火のことなどを熱心に説明していただきました。本当に親切な、日本語ガイドさんでした。
<始めと終わりは免税店で>
昼食はショウロンポーの店が見付からなかったので、台北駅南の小さな店で軽く済ませました。店にはビールが置いてなかったので、迎えのコンビニで缶ビールを買ってきました。ビールを頼んだ時に、お店の人が指差しで教えてくれたからです。持ち込み自由でした。
ホテルには、HI*さんとの初日の約束の時間前に戻りました。忘れないよう、預けておいた荷物も受取りました。最後にもう一度パスポートの確認です。今度は大型バスで迎えに来てもらいました。今日が日本の勤労感謝の日に当たるので、帰りの日が一緒になった人が多かったためでしょう。
ところで、このバスでは、既に乗り込んでいた若い女性グループで、非常にマナーの悪い人達を目撃しました。けばけばしい化粧で、足を投げ出して座って、いかにも品のない人達といった第一印象でしたが、暫く経ってから、足を投げ出して座ったまま、大声でガイドさんを席に呼付けました。
『セーフティボックスにパスポートを全員忘れてきた。何とかならないか?』
と、いった用事でした。こんな頼みごとをする際にとる態度ではありませんでした。
現地ガイドさんも、さすがにあきれていたようですが、ぐっと堪(こら)えて
『パスポートがなければ出国手続きは出来ませんから、ここで車を降りてタクシーでホテルへパスポートを取りに戻ってください』
の後に、
『間に合うようでしたら、タクシーで飛行場まで直接向かってください。このバスは免税店に立ち寄ったあと、飛行場に向かいます』
と、いったアドバイスでした。バスがそのホテルまで引き返しては、こちらも大変です。
そのグループがバスを降りた後、ガイドさんと目配せして
『もう、予定の便には間に合いませんよね』
と、軽い会話を交わしました。それにしてもマナーの悪さが際立つグループでした。学生さんではなく社会人でした。
そんなことがありましたが、バスは予定通り免税店に立ち寄りました。バスの中から、最初に免税店に立ち寄った時の女性グループと旅の印象などの話をしましたが、三河方面、西尾や碧南から見えた人達でした。この方達も先程のマナーの悪いグループには驚かれているようでした。免税店の中でも、サービスの烏龍茶を飲みながら、話に花が咲きました。台湾にはかなりの回数、旅行をされている人もいました。
<おわりに>
短い旅行でしたが、内容は充実していました。台北近郊の烏来(ウーライ)観光は初めてでしたから、印象に残りました。基隆(キールン)と同じように、雨が似合う渓谷の温泉街かも知れません。「雨もまた好し」の先住民族村の訪問でした。今でもその時のリズムが耳に残っています。
烏来からトンボ帰りで向かった台湾の北西端に近い淡水の観光は、偶然にバスの終点地の新興観光地にたどり着きました。帰りの淡水の町までのフェリーや淡水川畔の散策も大いに旅の風情を楽しむことができました。
最後の日に訪れた台湾総統府の内部見学も予想外のことでした。パスポート検査を受け、荷物やカメラを受け付けに預けての見学でした。写真で直接ご説明することは出来なかったのが残念です。1時間余り熱心に日本語が達者なご年配の係員の方に説明をして頂き、大変に恐縮しました。
<謝辞>
今回の旅でご一緒させていただいたKwさん、Muさん、Ktさんにまず最初に、厚くお礼を申し上げます。楽しい旅行を、本当に有難うございました。又、次の機会にご一緒させていただくことを楽しみにしています。
殊にMuさんには一括してチケット予約などをお願いしお世話様になりました。総統府構内見学も、Muさんが下調べをしてくれなかったら実現しないことでした。重ねてお礼申し上げます。
(本文 完)
【旅行時期】2004/11/21~2004/11/23
【エリア】
台北
【テーマ】
【投稿者】
旅人のくまさん
日本の旅 関西を歩く 大阪、交野ヶ原の歴史遺産・徳川家康の「ひそみの薮」と星田の陣周辺(by さすらいおじさんさん)
星田妙見宮の参道近くに徳川家康(1542−1616年)が本能寺の変(1582年)の時、三河に逃げ帰る途中に潜んだと伝わる竹薮がある。
織田信長(1534−1582年)が京都本能寺で明智光秀(1528−1582年)の謀反で攻められ自害した時、家康は少人数の近臣とともに堺に滞在中だった。光秀軍に狙われる危険から脱出して急いで三河に戻ろうとした家康は、深夜星田に着き薮の中に身を潜めたといわれる。家康は村の長・安井氏に山城方面に出る間道に精通している道案内人を出すように依頼、平井家の2名が道案内を買って出て、家康は山城経由で伊賀から三河に無事脱出できたといわれている。
1615年大坂夏の陣の際には徳川方は星田を宿営地にした。徳川家康は因幡矢橋城主市橋長勝(いちはし ながかつ1557−1620年)の進言で星田の村の長・平井三郎右衛門清貞宅を陣所としたが本能寺の変(1582年)の時に家康を助けたことが評価されたと伝えられている。清貞方では本宅から10間(18m)ほど北の5間(9m)四方ほどの一室を整えて家康の来宅に備えていたそうだ。
出陣の際に平井家には火入れ、小鉢類、湯呑茶碗など、家康使用の品々が与えられている。
徳川家康への協力により、市橋家には近江西大路陣屋で2万石の所領と河内の星田に1300石余の所領が与えられ、平井家は市橋家領の庄屋になったそうだ。
市橋家8代当主で近江仁正寺藩第7代藩主・市橋長昭((いちはし ながあき1773−1801年)が寛政年間(1789―1801年)に星田を訪れた際、徳川家康に協力して信頼を得た市橋長勝の功績を称える碑を建てようと立案、相模国小田原藩第7代藩主大久保忠真(おおくぼ ただざね1782−1837年)筆の「神祖営址之碑」 を1805年に建てた。この碑は「徳川家康の星田の陣の碑」として平井家の一角にひっそりと残っている。
(写真は徳川家康の星田の陣の碑)
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